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 今回は私の聖書の読み方をお話したいと思います。

 私は救われて、聖書を読むうちに、一つの疑問が起こりました。

 それは、旧約聖書の神と新約の聖書の神があまりにも違うので驚いたのでした。

 新約の聖書を読む間は、平安なのですが、
旧約聖書を読むと神様の前に立つ事が恐ろしくてたまりませんでした。

 新約の聖書は愛が前面に出ている神、
旧約聖書は裁きが前面に出ている神として読み取れるのです。

 神は義なる、聖なる、愛なる、裁き主なる神なのですが、
どうしても、旧約聖書の神と新約の聖書の神を一つにする事が出来なかったのです。

 私は新約聖書の中に裁き主なる神を見出してから、この疑問は解決しました。

 それはガラテヤ3:13です。
 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、
私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。
なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」
と書いてあるからです。

 モーセの十戒にある律法を人間は守りきれない事は明らかです。
一生、守りきれない事は明らかです。
そこで、神はキリストを地上に送り、
人間の全ての罪をイエスキリストに負わせ、裁きを完了したのでした。

 神は人の罪の裁きをキリストにおいて完了したので、愛なる神が前面に見えるのです。
神は初めから、新約を完成する為に、旧約(律法)を挟んだのです。

 詳しくは「裁き主なる神」という学びのCDをお聞きください。 

 はシャローム。

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